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東京地方裁判所 平成10年(ワ)8869号 判決

原告 田代秀治

被告 国

代理人 栗原壯太、笠原久江、松田良宣 ほか三名

主文

一  原告の請求を棄却する。

二  訴訟費用は、原告の負担とする。

事実および理由

第一請求

原告が別紙物件目録記載〈略〉一記載の土地先に所在する別紙図面記載のE、F、G、H、Eの各点を順次結んだ範囲の部分について、所有権を有することを確認する。

第二事案の概要

本件は、原告が別紙物件目録一記載の土地(以下「一三三番一一四の土地」という。)に隣接する別紙図面E、F、G、H、Eの各点を順次結んだ範囲の部分の土地(以下「本件土地」という。)の所有権を時効により取得したと主張して、これを争う被告に対してその確認を求めた事案である。

一  争いのない事実

1  坂斉徳己は、昭和三三年七月一四日、被告から一三三番一一四の土地の払下げを受けた。

2  原告の妻田代清子は、昭和三八年五月七日売買により、一三三番一一四の土地を坂斉徳己から取得した。

3  原告は、右同日、別紙物件目録二記載の建物(以下「本件旧建物」という。)を売買により取得した。

4  田代清子は昭和五八年四月二日死亡し、原告が相続により一三三番一一四の土地の所有権を取得した。

5  原告は、本件旧建物を取り壊して、昭和五九年九月三〇日、別紙物件目録三記載の建物(以下「本件新建物」という。)を建築した。

二  当事者の主張及び争点

1  原告の主張

田代清子は、昭和三八年五月七日から本件土地の占有を開始したが、その際、同土地が自己の所有であることを過失なく信じたので、同日から一〇年の経過により本件土地の所有権を時効により取得した。田代清子は、昭和五八年四月二日に死亡し、原告が本件土地の所有権を承継した。

仮に、田代清子が占有の始め過失があったとしても、昭和三八年五月七日から二〇年の経過により、原告が本件土地の所有権を時効により取得した。

よって、原告は右各時効を援用する。

2  被告の主張

本件旧建物は本件土地上に建っておらず、田代清子が昭和三八年五月七日から本件土地を占有していたことは否認する。また、原告が被告との間で平成六年一月二四日、本件隣接地と本件土地との間の境界を定める境界確定協議を行い、丈量図の隣接所有者欄に署名押印していることからすると、田代清子ないし原告の本件土地の占有は他主占有というべきであり、仮にそうでなかったとしても、右境界確定協議により時効利益を放棄したか、あるいは時効援用権を喪失したものである。

3  争点

(一)  田代清子は、昭和三八年五月七日から本件土地を占有していたか。

(二)  田代清子ないし原告の占有は他主占有であったか。

(三)  原告は、時効利益を放棄したか、あるいは時効援用権を喪失したか。

第三争点に対する判断

一  〈証拠略〉によれば、以下の事実が認められる。

1  本件土地(地積八・二〇平方メートル)及び一三三番一一四の土地(地積二六・四四平方メートル)は、JR横浜線矢部駅から淵野辺駅間の軌道用地と相模原市道との間に挟まれた延長約六二〇メートルの土地(以下「本件全体土地」という。)の一部である。本件全体土地のうち、相模原市道に面する土地部分は、昭和三三年に当時の占有者らにそれぞれ被告から払い下げられており、本件全体土地のうち軌道用地に面する土地部分はその後も国有地として残された。

2  坂斉徳己は、昭和三三年七月一四日に被告から一三三番一一四の土地の払下げを受け、昭和三八年五月七日にこれを原告の妻田代清子に売り渡した。原告は、右同日売買により、本件旧建物を取得して妻子とともに同所に居住した。

3  一三三番一一四の土地の地積は1のとおり二六・四四平方メートルであるのに対し、本件旧建物の一階床面積は二八・〇九平方メートルであった。右売買当時、既に一三三番一一四の土地と本件土地との境界ではなく、本件土地とその余の国有地部分(別紙図面のS土地)との間に境界を示すコンクリート塀が設置されていた。

4  田代清子は昭和五八年四月二日死亡した。原告は相続により一三三番一一四の土地の所有権を取得し、本件旧建物を取り壊して、昭和五九年九月三〇日に床面積二一・一〇平方メートルの本件新建物を建築した。

5  被告は、平成五年五月ころ、付近住民から本件全体土地のうち国有地のまま残された払下げ未了土地部分について払下げをしてもらいたいとの要望を受けた。そこで、被告は、平成六年一月二四日から同年二月七日にかけて、売払いを行う前提として、本件全体土地の各測量及び境界確定協議に着手した。

6  被告は、新たに売払いの対象とする土地を確定するに当たっては、本件全体土地が1のとおり、延長距離にして約六二〇メートルに及んでいたことから三つの区画に分けて行うこととした。そして、被告担当者は、事前に関係所有者に境界確定のための立会いを求める旨を内容とする通知を行い、現地で集まった関係所有者ないしその代理人に対し、これから本件全体土地のうち昭和三三年に払下げた土地と払下げ未了となった国有地との間の境界を確定する旨説明した上、同人らの立会いのもと、現地で一軒ずつ、本件全体土地とその北側の市道との間の境界を確定した上、当時の払下げ実測図〈証拠略〉をもとに、当時の各自の払下げ面積が確保できるよう配慮しながら従前の払下げ土地と払下げ未了となった国有地との間の境界を順次復元していった。なお、本件全体土地と軌道用地との境界については、JR東日本の立会いを得て復元した。

7  かかる復元の結果、払下げ土地を越えて払下げ未了の国有地上に建物がかかっていることが判明したりしたため、被告が復元した境界に納得する者のほか、被告担当者の説明にもかかわらずこれに納得しない者も現われた。そこで、関係所有者全体で話し合う必要があるということになり、被告は、その推移を見守ったところ、地区のまとめ役を務めた石郷岡重三郎から町内会総会を開いた結果、関係所有者全員の了解を得られたとの連絡を受けた。そこで、被告は、現地調査の結果を踏まえて平成六年三月ころ丈量図を作成して、同図面を示して、関係所有者一人一人から被告が復元した境界に同意する署名押印を求めた。その際には、被告の確定した境界に異論を唱える者はいなかった。

8  被告担当者は、本件隣接地と本件土地の境界の復元に当たっては、本件新建物(当時は、たばこ屋)の店先にいた原告に対して、ほかの所有者と同様、従前の払下げ土地と国有地との間の境界を復元する旨説明したが、本件新建物の裏手に回って境界の復元の現場に立ち会ったのは有限会社三共住宅サービスの石川暢徳であった(原告自身が実際に復元の現場に立ち会ったかどうかについては、菊地利雄の証言はあいまいで、ほかに同事実を認めるに足る的確な証拠はない。)。その際、石川暢徳は、被告担当者が復元した境界によると、原告の建物が国有地にかかっていることになることから、縄のびの関係でそのようになっているのではないかとの疑問を呈したが、最終的には被告担当者の説明に納得し、復元終了後、その内容を原告に報告した。その上で、原告は、後日、被告担当者から境界の確認を求められ、平成六年一月二四日立会いの結果、本図の境界に隣接土地所有者として異議はない旨の記載のある復元結果を記載した丈量図に自ら署名押印した。

二  争点(一)(本件土地の占有)について

一、3で認定したとおり、本件旧建物の一階床面積が一三三番一一四の土地の地積より広く、田代清子が一三三番一一四の土地を購入した当時、既に一三三番一一四の土地と本件土地との境界ではなく、本件土地とその余の国有地(別紙図面のS土地)との間に境界を表すコンクリート塀が設置されていたことからすると、田代清子は、一三三番一一四の土地を購入した昭和三八年五月七日から本件土地を占有していたと認定するのが相当である。

三  争点(二)(他主占有)について

被告は、原告が被告の復元した境界をもって、一三三番一一四の土地と本件土地の境界であると確認したことは、原告ないしその妻田代清子の他主占有をうかがわせるに足る十分な事情であると主張する。

しかし、境界の復元が行われたのは田代清子が本件土地の占有を開始した昭和三八年五月七日から三一年近く経過した平成六年のことであり、田代清子が昭和三八年五月七日に一三三番一一四の土地を取得したときの、一、3で認定した本件土地の利用状況や、右境界の復元に当たって、縄のびの問題を指摘した石川暢徳と被告担当者との間のやりとりなどに照らすと、田代清子はもとより原告も、被告によって境界が復元されるまで、本件土地が一三三番一一四の土地に含まれるものと考えていたと推認するのが相当である。

そうすると、被告が復元した境界に応じたことをもって、田代清子あるいは原告について、本件土地の取得時効に関し所有の意思はなく、他主占有であったと認めることはできない。

四  争点(三)(時効利益の放棄ないし時効援用権の喪失)について

今回の被告の境界確定は、従前の払下げ土地と残された国有地との間の境界を復元することにあったことはこれまで論じてきたとおりであり、原告が署名押印した丈量図にも、同丈量図に記載された境界に隣接土地所有者として異議がない旨記載されている。そして、原告が指摘するとおり、境界の確定そのものは時効主張の前提行為と考えることも不可能ではなく、そうすると境界の確定に応じたことと取得時効の主張を行うこととは必ずしも相容れないものではない。

しかしながら、本件にあっては、一で認定したとおり、統一した指針のもとに、本件全体土地に渡って従前払下げ土地と払下げ未了の国有地との境界を確定していったもので、被告が復元した境界について、これを認める者や異論を唱える者など対応が区々に分かれたという事態に対しては、関係所有者全体で足並みを揃えるために調整が行われた結果、最終的に被告の復元した境界に関係所有者全員が応じ、その際には異論が出なかったというものである。そして、原告においても、一で認定した事実経過によると、同人に代わって立ち会った石川暢徳から当初、被告の復元した境界に対して異論が呈されたにもかかわらず、最終的には被告担当官の説明に納得して、被告が復元した境界が一三三番一一四の土地と本件土地の境界であることを示す丈量図に署名押印したと言わざるを得ず、その際、後に時効など本件土地の所有権を主張する前提として境界の確定に応じた様子は全くうかがえない。原告が本訴訟を提起したのも、それから四年後の平成一〇年のことである。

以上によれば、原告は、被告によって復元された境界を示す丈量図に署名押印することによって、本件土地について所有地を有していないことを確定的に認めたというべく、その結果、それまでの占有の継続を根拠とする取得時効の援用をすることは信義則上許されず、時効援用権を喪失するに至ったと解するのが相当である。

五  結論

以上によれば、原告は、本件土地の時効の援用権を喪失したと認められるから、取得時効によって本件土地の所有権を取得したとする原告の主張は理由がない。

よって、主文のとおり判決する。

(裁判官 西森政一)

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